2015年12月6日日曜日

すっかりごぶさたしてしまいました。気づくと時間のながれにどっぷりつかっていました。

散歩で会うワンコたち、ロンちゃんや茶々君、レスリングのように組み合ってコロコロころがりながら

うれしそうに遊んでくれるモコちゃん、我が家犬のゆゆは、いつもいつも楽しそう・・

あかるくて フレンドリーです。

クリスマスの時期になってしまいました。ささやかな我が家のクリスマスをお届けいたします。

2015年7月22日水曜日

メグちゃん大丈夫?

ほぼ毎朝5時半からワンコ散歩に行きます。

途中の伊勢宮でラジオ体操のお仲間になって10分間体操をします!

その間、ゆゆは、ねそべってまっています。

毎朝、ラジオ体操にチャーミーちゃん、メグちゃんもやってきます(*^_^*)

メグちゃんは、おばあちゃん犬で目がみえません。

でもカートに乗ってやってきます。

暑いのでワンコは、それぞれ石畳に伏せて待っていますが、昨日はメグちゃんが

横になって、足を開いたまま動かなかった(寝ていたのですが・・)

ゆゆは、その様子を見て心配そうに「アウ、シャン」みたいな静かな声をあげました。

体操が終わるとリードをひっぱってメグちゃんにまっしぐら

おハナつんつんしてから回り込んで「だいじょうぶ?」と聞いているようです。

体操に来ていた方達も、ゆゆの思いがわかったらしく

「心配だったね~」と言ってくれました。

ゆゆは、安心したらしくピョンピョン跳ねて笑いながら帰ってきました。

犬族に友情あり♪です。

2015年7月20日月曜日

みんなとおハナつんツン♪

長門牧場に行って羊さんやヤギさんにお鼻ツンツンでご挨拶・・もうそれだけで嬉しくてうれしくて・・

愛犬ゆゆは、超ご機嫌~風を追って、風の流れを楽しみ、おハナを空にむけて風を追いかける・・

楽しくて楽しくて・・一緒にいる家族も超シアワセ

そこから蓼科牧場へ

なんとゴンドラにワンちゃん乗れます♪

ゴンドラの駅で降りて自然園にも入場できます。

自然園で次々、ワンコと会ってオハナつんつん・・

シェパードくんやシベリアンハスキーちゃん、柴ちゃん、シーズーくん、ラブちゃん、

マウンテンドックくん・・

もうたまりません♪~嬉しくてピョンピョン跳ねながら歩いたゆゆです♥

2015年5月4日月曜日

なかよしワン友

ちょっこと年上のモコちゃんとドッグランで飛んだり跳ねたり、おいかけっこしたり

レスリングのようにくみあったり

楽しい楽しい ゆゆ 

モコちゃんのパパからおやつをいただいて

モコちゃんとくっついて座り、ほっぺをくっつけて食べています♪

しあわせ~



2015年3月9日月曜日

エチオピアウルフのテレビを見る愛犬

昨晩、NHKの『ダーウインが来た!』で絶滅寸前、まぼろしのオオカミ

を見ていました。私の横に立ってテレビを見ていた愛犬のゆゆが、

ジャンプしてテレビの前に行き、じっ~と見つめています。

代々の愛犬でも、テレビを見る犬は、初めてです。ニュースやドラマなどには

全然振り向きもしません。わかるんですね!驚くと同時に感動しました。

ゆゆは、天真爛漫な明るい性格で散歩でワンちゃんに、歓迎されようが

怒られようが会うだけでうれしくなり、笑って跳ねて喜びます。

オオカミは、犬族の先祖といわれています。相通じるものがあるんですね・・


2015年1月11日日曜日

6歳のシェーンの言葉

以下は、ネットで見つけた記事です。
感動しました。ぜひ伝えたいと思っていました。
 



獣医のわたしが呼ばれ、10歳のアイリッシュ・ウルフハウンドのベッカーを診察した。飼い主のロン・リサ夫婦、特に息子のシェーンは、ベッカーをとてもかわいがっていたので、なんとか奇跡が起こらないかと願っていた。

しかし、ベッカーは末期のがんに冒されていて、もう助かる見込みはなかった。末期がんの苦痛は相当なものだ。家族には家で安楽死をさせてやるのがいいと助言した。
ロンとリサは、この体験からきっとなにか学ぶものがあるだろうから、6歳のシェーンにも安楽死の場に同席させたいと言ってきた。
翌日、死にゆくベッカーのまわりに家族が集まった。シェーンは静かに、最期の瞬間までベッカーを抱きかかえていたが、どこまでこの状況を理解しているかはわからなかった。しばらくして、ベッカーは穏やかに息をひきとった。
シェーンにも、ベッカーが苦しむことなく、別の世界へ旅立ったことがわかったようだった。その後、どうして動物の命は人間よりも短いのかということについて、みんなでひとしきり話した。静かに聞いていたシェーンがいきなり言った。
「ぼく、どうしてか知っているよ」。
みんなは驚いてシェーンを見た。そして、次に彼の口から出てきた言葉に驚いた。私はあれほど心が慰められる言葉を聞いたことがない。彼はこう言ったのだ。

「人間はみんな生まれてきてから、人を愛したり、幸せな人生を送る方法を覚えるんでしょう?でも犬は、生まれたときからもうすでにその方法を知っているから、長く生きる必要がないんだよ。」

犬の愛と健気な心ほど美しいものはない。だから、彼らが逝ってしまうのを見るのは死ぬほど辛い。でも、彼らを見送る日がきたときは、シェーンの言葉を思い出して欲しい。
そして彼らが身をもって教えてくれた、本当の愛、何気ない日常の中の喜び、命の重さをかみしめながら、「出会えた」ことに心から感謝したい。「いつもそばにいてくれて本当にありがとう。人生において大切なこと、教えてくれて本当にありがとう。」

アイリッシュ・ウルフハウンドは体高(肩高)が80cmを超える個体もあるといわれるとても体の大きな犬である。この大きさに見合う食物量と寝床のスペース確保が飼育のために必要であり、加えて、長時間の散歩も必須であるため、誰でも飼えるというわけではない。世界一大きなアイリッシュ・ウルフハウンドは、体重80kg、身長2mにも及ぶ。

犬はペット以上の存在。家族の一員であり、人類の親友とも言われている。彼らは無条件でわたしたちを愛してくれ、なんの見返りも求めない。こちらが愛情を示せばそれを何倍にもして返してくれる。だが悲しいことに動物の寿命は人間のそれよりもはるかに短い。
6
歳の少年、シェーンにはアイリッシュ・ウルフハウンドのベッカーという名の愛犬がいた。ベッカーは、物心ついたときからずっとシェーンのそばにいてくれる文字通り親友だった。

悲しいことにベッカーは10歳にして末期がんに侵され、余命あとわずかとなってしまった。残された家族の悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。そしてまた、その親友を見送った後の少年の言葉もまた、涙なくしては語れないものだった。これは、その様子を見ていた獣医の話である。



 


獣医のわたしが呼ばれ、10歳のアイリッシュ・ウルフハウンドのベッカーを診察した。飼い主のロン・リサ夫婦、特に息子のシェーンは、ベッカーをとてもかわいがっていたので、なんとか奇跡が起こらないかと願っていた。

しかし、ベッカーは末期のがんに冒されていて、もう助かる見込みはなかった。末期がんの苦痛は相当なものだ。家族には家で安楽死をさせてやるのがいいと助言した。
ロンとリサは、この体験からきっとなにか学ぶものがあるだろうから、6歳のシェーンにも安楽死の場に同席させたいと言ってきた。
翌日、死にゆくベッカーのまわりに家族が集まった。シェーンは静かに、最期の瞬間までベッカーを抱きかかえていたが、どこまでこの状況を理解しているかはわからなかった。しばらくして、ベッカーは穏やかに息をひきとった。
シェーンにも、ベッカーが苦しむことなく、別の世界へ旅立ったことがわかったようだった。その後、どうして動物の命は人間よりも短いのかということについて、みんなでひとしきり話した。静かに聞いていたシェーンがいきなり言った。
「ぼく、どうしてか知っているよ」。
みんなは驚いてシェーンを見た。そして、次に彼の口から出てきた言葉に驚いた。私はあれほど心が慰められる言葉を聞いたことがない。彼はこう言ったのだ。

「人間はみんな生まれてきてから、人を愛したり、幸せな人生を送る方法を覚えるんでしょう?でも犬は、生まれたときからもうすでにその方法を知っているから、長く生きる必要がないんだよ。」

犬の愛と健気な心ほど美しいものはない。だから、彼らが逝ってしまうのを見るのは死ぬほど辛い。でも、彼らを見送る日がきたときは、シェーンの言葉を思い出して欲しい。
そして彼らが身をもって教えてくれた、本当の愛、何気ない日常の中の喜び、命の重さをかみしめながら、「出会えた」ことに心から感謝したい。「いつもそばにいてくれて本当にありがとう。人生において大切なこと、教えてくれて本当にありがとう。」

アイリッシュ・ウルフハウンドは体高(肩高)が80cmを超える個体もあるといわれるとても体の大きな犬である。この大きさに見合う食物量と寝床のスペース確保が飼育のために必要であり、加えて、長時間の散歩も必須であるため、誰でも飼えるというわけではない。世界一大きなアイリッシュ・ウルフハウンドは、体重80kg、身長2mにも及ぶ。

犬はペット以上の存在。家族の一員であり、人類の親友とも言われている。彼らは無条件でわたしたちを愛してくれ、なんの見返りも求めない。こちらが愛情を示せばそれを何倍にもして返してくれる。だが悲しいことに動物の寿命は人間のそれよりもはるかに短い。
6
歳の少年、シェーンにはアイリッシュ・ウルフハウンドのベッカーという名の愛犬がいた。ベッカーは、物心ついたときからずっとシェーンのそばにいてくれる文字通り親友だった。
悲しいことにベッカーは10歳にして末期がんに侵され、余命あとわずかとなってしまった。残された家族の悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。そしてまた、その親友を見送った後の少年の言葉もまた、涙なくしては語れないものだった。これは、その様子を見ていた獣医の話である。